昨晩降った雪は積もることもなく、いい天気で2日目の朝を迎えました。

先輩のお上人の御縁で、昨晩の決起集会に参加されていた神奈川の日青会様のレンタカーに同乗させていただくことができ、朝9時に仙台市から石巻市の法音寺様を目指して出発しました。

途中、石巻市のふれあい市場と石ノ森萬画館に立ち寄りました。
ふれあい市場は、震災後、ガレージ跡を利用して作られた青空市場でしたが、現地に着くと昨年に営業を終了したとの張り紙がされていました。これは、復興が進みそれぞれの店舗で営業ができるようになったからなのか、理由ははっきり分かりませんでしたが、良いことだと思いましょうということになって、その場を後にしました。
石ノ森萬画館は、宮城県出身の石ノ森章太郎の、シャッター街となった石巻市街地を活性化させようという構想に端をなし、2001年に完成しています。11日は土曜日ということもあり、萬画館やその近くの公園は小さな子どもたちでいっぱいでした。お土産用のコップに書かれた「今こそみんながひとつになるとき」という言葉が印象的でした。
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11時半頃に、無事に法音寺様に到着しました。法音寺様は、小高い山の中腹にあり、震災当初は避難所になっていたお寺です。ご住職に挨拶し、当時避難されていた方が生活されていた大きな庫裡のお座敷で、昼食をご馳走になりました。
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ここでの七回忌法要には、神奈川、北海道、京都から20数名の青年僧が集まりました。
12時半から法要の打ち合わせをし、京都の2名は、恐れながら、金座と木番を勤めさせていただくことになりました。

本堂いっぱいに遺族の方、檀信徒の方が集まり、13時半より東日本大震災七回忌法要が始まりました。法要が始まる少し前からは、震災当日と同じように雪がチラチラと降っておりました。

震災犠牲者約15000人のうち約4000人が石巻市で亡くなられ、そのうち約600人が法音寺様のある地域で亡くなられ、そしてそのうち55名が檀信徒の方だったということでした。
6年前に思いを馳せ、「共苦」の思いをもって、法華経・お題目をお唱えし、すべての犠牲者への慰霊とすべての地域・人々へ復興祈願をさせていただきました。

14時15分頃に法要を終え、すぐに道服に着替えて、実際に大きな被害のあった場所に建立された慰霊塔「久遠の祈り」へ移動しました。
実は、この法要への参加は、この「久遠の祈り」の建立が縁となっています。三回忌の折に神奈川のお上人がこの慰霊塔を建てることを目指し行っておられた募金活動に賛同させていただいたことから始まっています。

14時半頃から法要を始め、14時46分、一度法要を止め、防災アナウンスのサイレンが鳴り響くなか1分間の黙祷を捧げました。
その後、法要を再開し、堂内と同じく慰霊と復興祈願をさせていただきました。
法要の終わりには、雪が止み、少し日がさしていましたが、それでも強い風が吹く寒い中、こちらにも多くの方々が訪れ、お焼香をされていました。
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すべての法要が終わった後、海岸を少し自動車で回ってもらいました。
建造物を建ててもよいとされている地区でも、三回忌の時よりは家や工場が建っていたものの、草がぼうぼうになっている土地も目立ちました。
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海岸沿いにはおよそ5メートルの防波堤が今なお建設中でした。ずっと遠くまで続くその光景は少し異様に感じましたが、この6年間という時を感じることができました。
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帰路も、神奈川の日青会様にお世話になり仙台へ。17時半に到着し、仙台駅でお土産を買い、夕食を済ませ、いざ京都へ。新幹線を乗り継いで、23時半、無事に帰宅することができました。

確かに復興は進んでいるように感じましたが、物理的にも、精神的にも、まだまだ元に戻るにはほど遠いと感じました。
半額補助が下りるということで工場を作っても、働き手が確保できないらしく、半数は外国人ということでした。阪神淡路大震災の6年間での驚くべき復興と比べれば、だいぶ遅れていると思います。範囲が広大であったこともありますが、都市への人口一極集中、地方の過疎化、そもそもの日本人口の減少と、日本全体が抱える問題が、ここにも大きく立ちふさがっているのだと思います。

私たちができることは、まずは、忘れず「共にある」という認識を持ち続けることだと改めて思いました。これからも、絶やすことなく、供養と祈りを捧げ続けていかなければと心新たにした2日間となりました。

南無妙法蓮華経