一昨日の文化の日、予定通り無事に第740遠忌の「御会式」をお勤めできました。
世界とは対照的に日本では急激にコロナ感染者が減少し、少し外に出やすくなった気がします
11月3日は、さすがの「晴れの特異日」で、爽やかな秋晴れとなり絶好のお参り日和となりました
が、しかし、もしかしたら「だから」なのか、参拝者の数は少し寂しいものでした
コロナで体力が落ちて外出しにくくなったというのもよく耳にしますし、今しか無いということで行楽に出かけられたのかもしれません。今年もコロナで「狂言」の奉納が出来なかったことも大きく関係していると思います…
普段の布教姿勢の問題かなとも思いつつ、10年以上にわたって続けてきた「イベント」に大きな意味があったのだなと再確認出来たのは良かったかなとも思います
最初の動機はどうであれ、やっぱり多くの方々とともに日蓮聖人への報恩法要をお勤めできることは有り難いことです。
来年こそは、またたくさんの方々とお題目をあげられたらなぁと思います
とはいえ、普通に掃除して準備してお勤めするだけでもヘトヘトになっていて、体力落ちたなと感じました人に頼るとか、内容をスリムにするとか工夫して続けていかないとなとも思いました
法要後は、今年は少しマニアックに、日蓮聖人滅後の日蓮宗の変遷と各派の違いについて簡単にご紹介しました。イベントの時にはなかなか出来ないので、これはこれでいい機会になったと思っています
転んでもただでは起きない(笑)
きっとしないんだろうなと思いつつ、体力アップのために、サイクリングシミュレータなるものに興味津々の今日この頃です(笑)
http://www.minoura.jp/japan/trainer/trainer-option/zwift/zwift.html
世界とは対照的に日本では急激にコロナ感染者が減少し、少し外に出やすくなった気がします
11月3日は、さすがの「晴れの特異日」で、爽やかな秋晴れとなり絶好のお参り日和となりました
が、しかし、もしかしたら「だから」なのか、参拝者の数は少し寂しいものでした
コロナで体力が落ちて外出しにくくなったというのもよく耳にしますし、今しか無いということで行楽に出かけられたのかもしれません。今年もコロナで「狂言」の奉納が出来なかったことも大きく関係していると思います…
普段の布教姿勢の問題かなとも思いつつ、10年以上にわたって続けてきた「イベント」に大きな意味があったのだなと再確認出来たのは良かったかなとも思います
最初の動機はどうであれ、やっぱり多くの方々とともに日蓮聖人への報恩法要をお勤めできることは有り難いことです。
来年こそは、またたくさんの方々とお題目をあげられたらなぁと思います
とはいえ、普通に掃除して準備してお勤めするだけでもヘトヘトになっていて、体力落ちたなと感じました人に頼るとか、内容をスリムにするとか工夫して続けていかないとなとも思いました
法要後は、今年は少しマニアックに、日蓮聖人滅後の日蓮宗の変遷と各派の違いについて簡単にご紹介しました。イベントの時にはなかなか出来ないので、これはこれでいい機会になったと思っています
転んでもただでは起きない(笑)
きっとしないんだろうなと思いつつ、体力アップのために、サイクリングシミュレータなるものに興味津々の今日この頃です(笑)
http://www.minoura.jp/japan/trainer/trainer-option/zwift/zwift.html
お疲れさまでございました。
今回は、参列できず本当に残念でした!
お話を、ぜひお聞きしたく存じました。
お粗師さま遷化後の日蓮宗の変遷は、
たいへん興味がございます。
六老僧、中老僧、九老僧の各お上人がたは、
それぞれ魅力に富み、日蓮宗の多彩な宗教論
の因をなしたことと存じます。
大立寺さまでいただいた、
お祖師さまの語録を拝読しますと、静岡の
檀越が、割りと登場されるのが、印象的です。
やはりこれは、鎌倉に来ていた豪族の信者が、
日常上人のような下総・安房方面からの武士たち
と、駿河方面からの武士たちとに大別されたの
でしょうか?(駿河方面にも信者が多かったこと
が、日興上人の門流が、支えられていく原因
になったのでしょうか?やはり、池上氏や
中山富木氏のような坂東武者とは、肌あいが
異なったようにも思います?これが、現代まで
つづく、決定的にたもとを分かつような分派
が存在する遠因だとしたら、おもしろいとも思い
ますが、まあまったくの想像です)
そして、室町期における日像上人の門流の、
京都における新たな展開も、大きいといえるの
でしょう。
とにかく興味がつきません!
しかし、都でお祖師さまの遺言で、日像消極が、
上洛を果たし、勅願寺になったお寺が出たことに
くわえ、おそらくは、鎌倉、室町、戦国と、
ずっと草深い土地のままであったであろう
池上や中山も、やがて江戸からのアクセス抜群
の場所となり、ほぼ日本の中心の地なったのです
から、お祖師さまは、日本中に布教するために、
鎌倉時代に、尋常でなく先を読まれて布石を
打たれたような気もいたします。
なには、ともあれ、お話をうかがえるのを、
楽しみにしています。
来月の像師会には、ぜひお参りしたく存じて
おります。 岡野豪拝