昨日は、年に一度の「御守り作り」を行う信行会でした
参加者自身で一角一角、気持ちを込めて、お題目を書いていただき、ご自身の思いを添えて、御守り袋の中に詰めていただきました
今年もいい御守りができたと思います

今年は自分の体調と母の看護の状況を考慮して、また山の保全も考慮して、毎年大勢の方に参加いただく竹の子掘りのイベントを開きませんでした
生えては困る場所の竹の子採りのお手伝いには、お友達家族に来てもらったのですが(笑)

それでですが、毎年一月遅れで竹の子掘りイベントに併せてお勤めしている「花祭り」(お釈迦様のお誕生会)の法要も、今月の信行会に併せてお勤めさせていただきました。
毎年飾るツツジの花が終わってしまっていて(早い…
)、今年はお花無しの花祭りになってしまったのですが

竹の子掘りのイベントをしないときはいつも一人で拝んでおりましたので、今年は信行会の参加者に”✿花✿”を添えてもらえたなと思っております
信行会が終わるのを待って、お坊さんになる修行の同期の静岡のお上人がお友達を連れてお寺に来られ、いいご縁を結んでいただけたのも、お寺が華やいだようで、お釈迦様へのいいご供養になりました
参加者自身で一角一角、気持ちを込めて、お題目を書いていただき、ご自身の思いを添えて、御守り袋の中に詰めていただきました
今年もいい御守りができたと思います

今年は自分の体調と母の看護の状況を考慮して、また山の保全も考慮して、毎年大勢の方に参加いただく竹の子掘りのイベントを開きませんでした
生えては困る場所の竹の子採りのお手伝いには、お友達家族に来てもらったのですが(笑)

それでですが、毎年一月遅れで竹の子掘りイベントに併せてお勤めしている「花祭り」(お釈迦様のお誕生会)の法要も、今月の信行会に併せてお勤めさせていただきました。
毎年飾るツツジの花が終わってしまっていて(早い…

竹の子掘りのイベントをしないときはいつも一人で拝んでおりましたので、今年は信行会の参加者に”✿花✿”を添えてもらえたなと思っております
信行会が終わるのを待って、お坊さんになる修行の同期の静岡のお上人がお友達を連れてお寺に来られ、いいご縁を結んでいただけたのも、お寺が華やいだようで、お釈迦様へのいいご供養になりました










飛躍して想像しますに、鎌倉時代には、富木常忍さんや四條金吾さんなどの識字階層に属されていた御信徒でさえ、どんなに信仰が厚くとも、日蓮聖人様のお題目の筆跡を真似て書くということは、思いも寄らなかったのではあるまいか?などと、妙なことを思いました。
御祖師様に直接お目にかかり、聖人の御手になる、墨痕未だ乾きやらぬような曼陀羅ご本尊を、手づからいただいていた上は……。
時を隔てて生きる私共には、日蓮聖人の御筆法を伝える七文字を見詰め、心を込めて三度から四度、眼前の紙の上に手写する事を通して、ほんのわずかながらでも、聖人様のもとへ近付けたような気がいたします。
同時に七百数十年の時を通して、このように様式化されたお題目が伝えられてきました事は、素晴らしいことと存じます。
凡夫である自分の手で、御祖師様が遺された文字の形をつたないながらも書写し、鬼子母神様をお包みして持つということは、お題目の読誦と合わせて、大袈裟とは存じますが、まさに法華経を受持するような有難い思いです。
貴重な機会と御指導を、ありがとうございました。
さて、住まいいたします柴又の帝釈天では、コロナ流行以来境内における甘茶の御供養がないようで、今年もありませんでした。
遠く離れた山科の地で、お釈迦様に御供養出来ましたことは、まことに有難かったです。